Log House(B)

ゲームの感想を中心にいろいろ書きます。

『タコピーの原罪』と私。-3年半越しにアニメで終わりを見届けて

※本編のネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作マンガを連載開始からリアルタイムで読んでいたのだが、第4話を見てそこから先を読むのを断念した。タコピーがまりなちゃんをハッピーカメラで撲殺した回だ。

ショッキングな展開にTwitterを中心に話題が大きくなり始めた頃だったが、その話題の広がりの反面、私はこの作品を見る気持ちになれなくなってしまった。個人的な事情だが、当時いろいろな悪いことが自分に重なっていて、陰鬱になっていく漫画の展開を追い続けようと思えなかった。社会的にもコロナ禍の影響がまだ残っており、気が重たくなるような物語に触れようという気持ちにはなれなかった。

だが、その一方で。私はなぜか、「自分の気持ちや状況が落ち着いたら、この作品を最後まで見たい」と、ずっと思い続けていた。何故か、「この作品に向き合わないと後悔する」という予感がどこかにあって、読むのをやめた後もそれが頭にこびりついていた。この物語を最後まで読み切ることが、連載当時に辛い出来事に直面して、物語の続きを追う気持ちになれなかった自分を救ってくれるのではないか。そんな期待感が私の中にずっと残っていた。

だから、アニメ化初報の際には、きっかけを与えられたような気持ちになった。次こそ、あのドス黒い傑作に向き合いたい。幸い、連載当時のあの頃のような辛い状況からは抜け出せていた。 なぜ、見届けないと後悔すると感じたのか。その気持ちの正体を確かめたかった。

 

アニメの第1話を見てすぐ、その気持ちの理由に気づいた。タコピーの純粋さに、必死さに、ひたむきさに、それだけで救いを感じられたからだった。

しずかちゃんやまりなちゃんの置かれている状況は絶望的だった。自分じゃどうにもならない大人たちの都合に振り回され、誰かに声を上げて助けてと呼びかけてもどうにもならない、不幸な子供たち。ハッピー道具も彼らの前では、事態を悪化させるきっかけにしかなりえない、何をしてもどうにもならない状況。

それでも、タコピーは彼らをハッピーにすることを信じて疑わなかった。それが純粋さからくる無謀さ、あるいは害悪だったとしても、タコピーがいるということが希望へのきっかけになると信じることができた。

そう考えると、私が連載当初なぜ4話で折れてしまったのかも具体的にわかった。きっと、タコピーが殺人を犯したという事実が絶望的に感じたからだ。希望へと連れて行ってくれると思っていたタコピーが、絶望への決定的な一歩を踏み出してしまったから、自分が拠り所としていたものが失われた気持ちになって、耐えられなくなったのだと思う。

でも、今回物語のその先を見て、それでもタコピーが希望へと歩もうとするのを目の当たりにして、私は嬉しくなった。まりなちゃんの境遇を身をもって体験し、一人で泣いて懺悔し、それでも何とかハッピーに向かおうとする、そのひたむきさに心が温かくなった。状況は最悪なのは変わらないけれど、それでもタコピーなら幸せに向かってくれると信じていた。

 

そして最終的にタコピーは、どれだけ頑張っても具体的な状況の解決方法が見つからないことに気づく。割れてしまったガラスの破片をどれだけ集めて取り繕ったとしても、割れる前には戻せないことにタコピーは気づくことができた。

「私はどうすればよかったの」と泣きながら叫ぶしずかちゃんに、ハッピー道具を差し出して何とか取り繕おうとするのではなくて、しずかちゃんと同じ立場で「わかんない、ごめん」と伝える。何度も繰り返して、かつてのしずかちゃんと同じように絶望的な状況を何とかしようとしてきて、それでもどうにもならなかったからこそ、タコピーはしずかちゃんの「わからない」を理解できた。

そして、その「わからない」を肯定したまま、物語は最後まで向かう。タコピーがその身と引き換えに時間を巻き戻した世界でも、しずかちゃんとまりなちゃんを取り巻く絶望的な状況は何も変わっていなかった。自分のこともお互いのことも、どうすればいいかわからないままで、二人にとってもう「わからない」存在であるタコピーが二人をつなげて、二人はお互いの「わからない」を理解するきっかけをつかんで物語は終わる。

 

二人を呪っていた憑き物が取れた物語の終わりを見届けて、私は自分の憑き物も一緒に取れたような気持ちになった。しずかちゃんやまりなちゃん程ではないけれど、私も何かしらの理不尽の犠牲になったことはあったし、今も折に、その理不尽の呪縛に苦しめられる日がある。

私が連載当時に読むのをやめる原因になった辛い出来事や、コロナ禍による鬱屈した気持ちもその一つだけど、どうしようもない理不尽がこの世の中には多すぎて、そのどうしようもなさに悶々とする日々はいつだってついて回る。

でも、その悶々とした気持ちを抱えたまま、その気持ちに向き合ったまんま生きていくことしか私には(私達には)できない。割れたガラスは割れたガラスでしかなくて、元のきれいなガラスにもどすことはできないけれど、その割れてしまったガラスの破片を大事に持ってやることはできる。タコピーがしずかちゃんに「わかんない、ごめん」と伝えたあのシーンで、そんな自分にタコピーが寄り添ってくれたような気がしたのは、きっと気のせいなんかじゃない。

3年半前、一度は読むのをやめた作品の行く末を見届けたいと思ったのは、割れたガラスの破片を手に生きていく自分を、タコピーがきっと見守ってくれる―そんな風に心のどこかで感じ取っていたのだと、私は信じたい。

 

この物語の終わりを見届けられて、本当に良かった。

タコピー、ありがとう。バイバイ。

感想『モンスターハンターワイルズ』――『ワールド』の成功を踏まえつつ原点回帰した、シリーズ最高到達点

正直に言うと、『ワールド』以降のモンハンの進化には、色々と思うところがあった。

 

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私がモンハンに一番長く触れていたのは『3G』や『4』の時代で、特に『4』ではハンター側のアクションが大幅に追加され、劇的に進化した狩りに夢中になった。『4』以前と以降では、まるで違うゲームのように感じたほどに。

高低差を活かした立体的なアクションが導入され、段差を利用したジャンプ攻撃や乗り状態といった新たな戦略が生まれた。この「アクションの進化」が、単なる攻撃と回避の繰り返しではない、より駆け引きの深い狩猟体験を生み出していた。

この三次元的なアクションが生まれた『4』が、それ以降の『X』でのスタイル・狩技や、『ライズ』のワイヤーアクションを交えた狩りへとつなっていくわけだが、私はこのモンハンの(ひいてはカプコンが作るゲームの)アクションに対するこだわりやチャレンジがとても好きで、何度も遊んでしまう魅力だと感じていた。

強大なモンスターと勝負する、硬派なアクションゲームのような印象を受けるモンハンシリーズを、それまでの印象に縛られず、しかしコンセプトの許す範囲で少しずつ変えていく。そのような実験的な姿勢を持ち続け、そして前作『ライズ』では、ワイヤーアクションによるカジュアルかつ奥深く、そして直感的で面白さを持つに至った。ナンバリングを重ねるごとに手触り面を見直し、着実に進化を遂げるモンハンが私は好きだった。

 

そんな私にとって、アクションではなく過去最高品質のグラフィックや作りこまれた世界観・マップを大きく押し出した『ワールド』は、どうにも馴染めなかった。世間では称賛の声が溢れ、記録的なセールスを記録する一方で、私は提示された新たな方向性に乗り切れず、早々にプレイをやめてしまったのだ。

もちろん、グラフィックの進化やモンハン世界の拡張には感心した。そりゃ、長いこと3DSの狭い画面でしか楽しめなかった狩りが、美麗なグラフィックと広大なフィールドで楽しめるのは素晴らしいことだ。素晴らしいことだが、しかし、私がモンハンに求めていたのはそういう方向性ではなかった。

私が魅せられたモンハンは、手触りの良いアクションを通じてモンスターとの駆け引きを楽しむもの。グラフィックやフィールドの進化は、あったら嬉しいが必須ではないと考えていた。その点で、『ワールド』には目新しい進化を感じられなかったのだ。

 

そんな中で登場した『ワイルズ』。『ワールド』の続編である以上、いちゲーマーとして購入しない選択肢はなかったものの、正直なところ不安は拭えなかった。「『ワールド』が肌に合わなかった自分が、本作を楽しめるのだろうか?」そんな心配を胸に、私はSteamの購入ボタンを押したのだ。

さて、この長い前置きを踏まえたうえで、私の現時点での『ワイルズ』プレイ時間を見てほしい。

 

……大ハマりじゃねーか。

 

不安はいい意味で見事に裏切られた。『ワールド』に対してモヤモヤを感じていた私が、『ワイルズ』では心の底から楽しむことができた。

なぜここまで楽しめたのか?理由はいろいろと考えられるが、やはり一番大きいのはアクション面での進化だと思う。

 

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アクション面での進化がもたらした「新しい刺激」

事前のプロモーションでも大々的に取り上げられていた「鍔迫り合い」と「相殺攻撃」は、敵の攻撃を受け止めることを前提とした、新たなゲーム性を生み出した。これにより、バトルに新たな刺激とメリハリが加わり、リプレイ性が大幅に向上したのだ。

『4』では、ジャンプ攻撃や乗り状態による戦略的な立ち回りが特徴的だったが、『ワイルズ』の鍔迫り合いと相殺攻撃は、それとはまた違った形で戦闘に深みをもたらしている。敵の攻撃を受け流すことでチャンスを作り出すシステムは、単なる回避や防御に留まらず、攻撃の流れを自分のものにする爽快感がある。

鍔迫り合いでモンスターと押し合う度、相殺攻撃で火花を散らして反撃する度に感じる、「自分がモンスターを打ち負かした」あの感覚がたまらなくて、何度も勝負を挑んでしまう。オンラインマルチプレイを前提としたゲームとは思えないほどの演出の作り込みもあり、戦闘の手応えはバツグンだ。

純粋に「狩り」を楽しむ感覚を強く楽しめるこのアクション面の進化は、一般性と天秤にかけたうえでゲーム性の向上を図ってそれが成功しているという点で、個人的には『4』の進化よりも踏み込んでいるのではないかとすら感じる。

 

『ワールド』が持っていた魅力が、より楽しめる形になった

こうなると、『ワールド』で培ってきた質の高いグラフィックやフィールドも意味を持ってくる。もちろん、シンプルに『ワールド』よりもクオリティが上がっているというのもあるが、それと同じくらい、アクション・手触り面がよくできていたからこそ、グラフィック・フィールドの作りこみに意味ができるようになった、というのが大きい。メイン要素のアクション・手触り面が作り込まれているからこそ、これらのサブ要素がより生き、ゲームの面白さを増してくれたのだ。

『ワールド』ではグラフィックとフィールドがいくら良くても、手触り面が今一つだったためにその面白さも感じられにくかった。しかし『ワイルズ』では、メリハリあるアクションによって、力の入ったグラフィック・マップからも面白さや没入感を感じられた。『ワールド』で育ったモンハンの新しい強みの種が、こだわりのあるアクションに回帰した『ワイルズ』で花開いたのだ。

 

気になる点もあるが、それを超える満足感

とはいえ、本作にも気になる点はいくつかある。

すでに他のプレイヤーのレビューでも指摘されていることだろうが、ストーリーの進行がスムーズではなく、操作できない時間や戦闘のない時間が長いため、テンポが悪く感じられる部分がある。また、オンラインロビーやクエスト参加のシステムが複雑で、新規プレイヤー・経験者両方にとって理解しづらい仕様だ。そして、モンスターの数が過去作と比較して少なめで、エンドコンテンツがやや薄い印象もある。

しかし、それらを上回るほどに、狩りのアクションは洗練され、手応えのある戦闘を存分に楽しめる仕上がりとなっている。最終的には、多少の不満点はあれどそれを超える満足感があると胸を張って言える作品だ。

 

ワイルズ』は私にとって理想のモンハンだった

『ワールド』の緻密に作り込まれた世界観・マップと、シリーズが代々持っていた「手触りに対するこだわり」が融合し、『ワイルズ』は満足度の高いゲームに仕上がっていた。

数年前、『ワールド』をプレイして「すごいけど、自分が求めていたモンハンじゃない」と乗り切れなかった私。しかし『ワイルズ』は、『ワールド』のフォロワーとしてのアイデンティティを持ちながら、私が求めていた新しい手触りを楽しませてくれた。レビューはいまだに賛否あるが、私は『ワイルズ』こそ、モンハンシリーズの新たな最高到達点だと言いたい。

これからも狩りを楽しんでいこうと思う。

感想『メタファー: リファンタジオ』——幻想と現実の狭間で生まれた、新たなアトラスの到達点

35年の歴史を持つアトラスが、その集大成とも言うべき新たなタイトルを生み出した。『メタファー: リファンタジオ』——この作品は、アトラスがこれまで培ってきた「作品性」と「ゲーム性」を極限まで突き詰めた、まさに渾身の一作だ。

本作が発売されて半年弱経っているため遅ればせながらではあるが、取り急ぎ感想を書きたいと思う。

 

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異質さと混沌の狭間に生まれた、唯一無二の世界観

本作は販売初週にして100万本というセールスを達成する快挙をなしたが、本作をここまで押し上げたのは、単なるクリエイター陣・メーカーのネームバリューや宣伝の力だけではない。むしろ、その突き抜けたクオリティこそが、この快挙を成し遂げた最大の理由だ。まず本作のビジュアル、そして世界観は、従来のどのゲームとも異なる。まるで混沌の中に突き進むかのような、異質な魅力を放っており、それこそが本作のアイデンティティだ。

フィクションと現実をつなぐ、アトラスの哲学

『メタファー: リファンタジオ』が持つアイデンティティの中で特に特徴的な点は、フィクションとしての自覚の高さにある。プレイヤーは「幻想」というテーマのもと、遠い世界を覗きながらも、どこか現実と地続きな感覚を覚える。ナレーション、グラフィック、演出、UIのすべてが、現実からわずかにずれたレイヤーに存在しているかのような雰囲気を作り出しながら、ストーリーは逆にこちらの世界へと手を伸ばしてくる。そのギャップこそが、本作のアート性をより際立たせているのだ。

「フィクションは何の力も持たない紛い物ではない」——これはアトラスが掲げ続けてきたメッセージだ。『ペルソナ』シリーズは現実世界を舞台に、少年少女たちが前を向いて歩めるようになるまでの成長を描く。『女神転生』は現実世界の荒廃と再生、新たな秩序の選択を描く。そして『メタファー: リファンタジオ』は、『世界樹の迷宮』のような王道ファンタジーへと回帰しながらも、現実とつながる物語を紡ぐ。その姿勢こそが、アトラスのアイデンティティであり、彼らなりの「突き抜け方」なのだ。

戦略と判断が生む、洗練されたゲーム性

ゲームシステムもまた、アトラスらしい作り込みが光る。アーキタイプの進行、技の継承、鎧戦車で各地を巡る旅という形式が、攻略の多様性と目的意識を生み、進行のテンポを保っている。また、シミュレーション要素も好感度システムをオミットして人格ステータスのみによる進行コントロールをすることで、従来作より難易度が抑えられコミュ要素のコンプリートが容易になった。

だが、決してゲーム性が簡略化されたわけではない。むしろ、戦闘システムは従来のプレスターンバトルを一歩進めたものとなっている。判断ミスが比較的軽い『ペルソナ』の「ワンモアプレスバトル」ではなく、よりシビアな『真・女神転生』の「プレスターンバトル」を採用し、さらに複数ターンを消費し高威力な技を放つ、ハイリスクハイリターンの「ジンテーゼ」が加わったことで、戦略性が格段に増している。また、先述のようにコミュ要素の進行難易度が緩和されたことで日数管理の負担が軽減された跳ね返りとして、バトルとダンジョン攻略の重要性がより際立つ形になり、より刺激的なバトル・攻略を楽しめるようになった。

まとめ:突き抜けた作品が生む、新たな時代の可能性

『メタファー: リファンタジオ』は、ただの新規IPではない。これは、アトラスが培ってきた哲学と技術が融合した、ひとつの到達点だ。フィクションと現実の狭間で生まれた物語が、プレイヤーに強烈な印象を残し、遊びやすさと戦略性・遊びごたえを兼ね備えたゲームデザインが、長く遊び続けたくなる体験を提供する。

「ここまで突き抜けたゲームが100万本売れる」——その事実が、まず喜ばしい。アトラスが築いてきた独自のゲーム作りが、これからも新たな形で進化し続けることを確信させる一作だった。

 

感想『ファミレスを享受せよ』 「他者を知る」という終わりなき娯楽

 

 

 

なあ君、ファミレスを享受せよ。
月は満ちに満ちているし ドリンクバーだってあるんだ。

 

 

 

※ネタバレを含みます。

 

 「異界のファミレスに軟禁された主人公が、同じく軟禁されている一癖ある仲間と繰り広げる奇妙な一夜の会話劇」という、アドベンチャーゲームとしてはもちろんゲーム全体として見てもトンガったコンセプトで作られた本作は、そのコンセプトにたがわず、かなりトンガった代物であった。

 

 本作は「非日常なもの」を指向しがちなゲームという媒体で、雑談交じりの会話劇を繰り広げており、だからこそ、その平凡さや身近さが逆に強い個性として表れている。

 ゲームは現実世界とは異なる別の世界を作り出すことができる媒体であり、その特性上、現実世界とは違った体験を提供することを強く指向する。最近はやりのオープンワールドというゲームジャンルなんてのはその典型で、現実離れした世界で、現実離れした見てくれの敵を、現実離れした能力を使って倒す。そんなゲームは当然楽しいに決まっている。未知の体験に好奇心がくすぐられるという感覚はどんな人間にでも備わっているからだ。

 そういうゲームと比較して本作はどうか。4人の仲間たちとドリンクを片手に、内容があったりなかったりする会話をすることで話が進んでいく。謎のファミレスについての話、相手の身の上話、そして雑談。主人公たちがおかれているこそ非日常であるものの、そこで交わされる会話は実に他愛もない。舞台こそ現実離れしているが、そこでの体験は実にありふれたものだ。

 しかし、じゃあ『ファミレスを享受せよ』は退屈なゲームなのかと聞かれたら、全くそんなことはない。一癖ある登場人物たちとの会話は実に平凡で起伏も大きくないが、そんな会話の節々から彼らの内面が少しずつ見えてくる。そしてゲーム中盤以降は、彼らの過去や秘密を知ることで、より彼らのことが身近に、リアルに、魅力的に見えてくるのだ。

 『ファミレスを享受せよ』の面白さは、それこそ現実の友人関係の面白さとかなり似ている。初めて会う人と知り合って、そして知り合いから友達になって、お互いの境遇やバックグラウンドを直接知るに至る。自分と違う他者を知り、彼らの考え方や人間性を知っていく面白さを、本作は作り出そうとしていたのだ。

 そして、そんな面白さを追求しているからこそ、『ファミレスを享受せよ』という作品には無限の奥行きが感じられるのだ。「内的宇宙(内宇宙)」なんて言葉があるように人の内面は広大で複雑で、とても解き明かせるものではない。しかし、そんな難しさがあるからこそ人を知ることは面白いのである。

 『ファミレスを享受せよ』はそんな難解で、しかし面白い「相手を知る」という行為にフォーカスを当てる。当然ゲームなので相手から得られる情報の量には限界があるのだが、遊んでいるうちに彼らには本人が話していない、あるいは本人が気づいていない側面があるのではないかと思えてきて、そういう側面を遊ぶ中で想像し、彼らのパーソナリティを補完していく。彼らの「内的宇宙」を知ろうとするのだ。

 そんな無限に続く面白さを核としているから、『ファミレスを享受せよ』はそのシンプルさにも関わらず、無限の奥行きを生み出している。コントローラーを手にしていないときでさえ、その面白さは続いていく。そういった意味では、俺はまだ『ファミレスを享受せよ』をクリアしていないのかもしれない。ファミレスでの奇妙な一夜をともに過ごした彼らに思いを馳せる、という永遠に続く娯楽の中で、もうしばらく遊んでみるつもりだ。

オープニング公開。『ペルソナ3 リロード』の圧倒的な安心感


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 先日発表された『ペルソナ3リロード』のオープニング映像、本っっっっっ当に素晴らしい。もうすでに何回も見返しては、その完成度の高さに息を漏らしている。「『ペルソナ3』とはどのような作品だったのか?」「『ペルソナ3』を今の時代に新たに送り出すのならばどのようにすべきなのか?」という命題にしっかり向き合い、原典へのリスペクトと新しい『P3』の在り方の追求の両方を大切にし制作されているのがひしひしと伝わってきて、いちファンとして大満足な代物だった。

 まず、OP曲『Full Moon Full Life』が本当によく仕上がってる。『Burn My Dread』『When The Moon's Reaching Out Stars』などの原典のBGMからリズムやフレーズを引用し『P3』としてのアイデンティティを示しながらも、シリアス・ダークな雰囲気を強く打ち出した原典のOPとは少々趣を変えて、明るさと暗さ、そして力強さが一曲の中に同居する、まさに日常と非日常、生と死を体感する『P3』らしい一曲となっている。

 特に、曲の歌詞の最後が「Burn Your Dread」でシメてあるのが本当にファンの心理をよくわかっていらっしゃる。この一節で、この曲が原典オープニング『Burn My Dread』に続く曲として、カップリング曲あるいは返歌として作られていると強く感じた。

 長らくシリーズのメインコンポーザーを務めていた目黒将司氏が今作は外れるということで少々心配していたが、こんなものをお出しされてはもう何の心配もいらないだろう。

 映像についてももう本当に素晴らしくて、まず現代の画質でより魅力的になったS.E.E.Sの面々が生き生きと動いているのが感動ものである。曲のサビで彼らがペルソナを出すシーンが特にかっこよくて、ここまでキレッキレな動きで戦う彼らが見られるのがうれしくてならない。加えて、原典のオープニング映像の演出を引用したり、色や抽象化を生かして日常の裏にある非日常の不気味さを巧みに描いていたり、原典をクリアした人ならニヤリとするであろうシーンが随所に挟んであったりと、褒められる点が多すぎる。

 …という感じで語れることはまだまだあるのだが、ここらにしておいて。原典の尊重と新しさの追求を両立し、『P3』を新たな形で送り出す。『P3R』のオープニングからはそのようなアトラスのリメイクに対する姿勢がうかがえるものだった。そして、発売まであと1か月弱あるが、私はこのオープニングを観て『P3R』には何の心配もいらないな、と思った。ここまでの仕事をしてくれているチームならば、きっと『P3』への愛と熱量に満ちた良リメイクになっているだろう、と。

 

 正直、『P3R』の初報の際、私は喜びの一方で不安を覚えていた。リメイクによって『P3』の持ち前のダークさが薄くなってしまうのではないか、という不安である。

 『P5』をスタンダードとして『P3』が生まれ変わるのはかなり喜ばしいことではあるが、スタイリッシュかつ洗練されたデザインとなっている『P5』を基準として『P3R』が作られるとなると、原典『P3』の不安感やダークさが薄まってしまうのではないか、平たく言えばかっこよくなりすぎてしまうのではないか、という心配があったのだ。

『P3』という物語は、以降のシリーズ作品に比べると生々しく、そして陰鬱な展開が多い作品である。「死を想う」を全体のテーマとして打ち出し、悲しみや恐怖や怒り、そしてそれに立ち向かい受け入れる勇気を描く。

 そのような人の命や心の根幹を扱う生々しさは『P4』『P5』にも共通して存在しているけども、『P3』はそれらに比べるとその濃度が一段階濃い。あんまり書くとネタバレになるから差し控えるが、他者との軋轢、挫折、恐怖、復讐心、後悔、罪悪感…そういったマイナスの感情が強く打ち出されている。

 そして、そんな人の複雑さを描くことを通して逆説的に人の美しさを際立たせているのが『P3』の大きな特徴である。人によっては残酷さやギスギス感から拒絶感を覚えてしまうくらいの、人間の本質への肉薄。それが『P3』とそれ以降のシリーズ作品との大きな違いであり、同時に魅力なのだ。暗いからこそ、ギスギスしているからこそ、そこからのカタルシスが大きい。

 だからこそ、『P3R』が『P5』のようにかっこよくなりすぎて暗さがスポイルされると、『P3』としての最大の魅力が損なわれてしまうのではないかと心配していたのである。

 しかし…まったくいらぬ心配だろう。それは今回のオープニング映像を観れば火を見るよりも明らかだ。きっと彼らがまた、死を乗り越える命の物語をまた見せてくれるはずだ。そして最後には、あの切なさともの悲しさにまた出会えるのだろう。2月2日が楽しみだ。

感想『ブラッシュアップライフ』 代えがたい普通の日常を描く、現実に寄り添った「非ドラマ的」なドラマ

 オンエアが終わってから本作を知り、一足遅く見終えたのだが、これはリアルタイムで見るべき作品だった、と後悔した。それくらい、『ブラッシュアップライフ』が心に残って離れない。

 この作品、正直言ってすごく地味だった。派手なシーンも強烈なイベントも、バシッと決める見せ場もほとんどもない。でもなぜか続きを見たいと思わされるような魅力があって、心に残る何かがあって、見終わったときにはこの作品が大好きになっていた。

 なんでこの作品が魅力的に映るのか、その理由が見始めて最初の頃はよくわからなかったけど、今になってみると、その魅力は「非ドラマ的なドラマ」だった点なのだと思う。

 『ブラッシュアップライフ』は思い返してみればとても奇妙な作品だった。タイムリープして自分の人生をやり直すという壮大な舞台設定を掲げておきながら、ドラマチックなイベントはほとんど劇中で起こらないし、あったとしても案外そのイベント自体を描写するのに時間をかけず、さっと流される。

 劇中で主人公たちの周りで大きな事件が立て続けに起こったりすることもない。普通のドラマだったら事件に対する主人公たちの葛藤と克服を描くことで話の縦軸を進めていくところを、本作はそのような描写から距離を置き、なんてことない日常風景の描写に一番の時間をかけていた。

 

 そのため、『ブラッシュアップライフ』はその一話の中での展開の構成もかなりイレギュラーである。

 大半のドラマは基本的には一話につき一つの大きな問題・事件を中心に展開していく。重大で、あるいは非日常で、あるいは危機的な問題や事件をその話の軸として大きく取り上げ、展開を盛りたて、視聴者のテンションを上げ、最後にそれを解決させて結ぶ。そうやって、一話の中で大きく上がって大きく下がる展開を見せることでドラマチックに見せるのが定石的だ。もちろんドラマに限らず様々な物語でこのやり方は見られるけど、ドラマにおいては特に多く見られるように思う。

 一方で『ブラッシュアップライフ』はというと、一つの大きな問題や事件を一話の中でずっと取り扱うことは稀で、むしろ短い複数の身近で日常的で身近なエピソードが一話の中に収められていて、その短いエピソード一つのなかで小さな展開の上がり下がりがあったり、別のエピソードで張られたこまごまとした伏線が次々と回収されたりする。そんな小さな展開の上がり下がりを休みなく繰り返すことで視聴者を楽しませる。

 このようなアプローチそれ自体はコメディもののアニメや漫画なんかではよく見られるものだが、これをドラマで、しかも1話の中で繰り広げるのはかなり斬新な取り組みなのではないか。最近私はドラマからは離れがちなので断言はできないが、少なくとも私の思うドラマの固定観念から本作は大きく外れている。

 とまあ、こんな感じで、本作は通常のドラマのいわゆる「ドラマチック」とは意識的に距離を置いていた。もしドラマチックにしようとしたなら、本作はそれこそ麻美がプロデューサーを務めた劇中の『ブラッシュアップライフ』のようになっていただろう。でも、そうはならなかった。『ブラッシュアップライフ』は、ドラマなのにドラマチックじゃなかったのである。

 

 さらに今作が輪をかけて奇妙なのは、普通のドラマでは考えられないレベルでリアルさにこだわっていることだ。

 時代設定に合わせた曲を週替わりでエンディングや劇中歌として(使用料という現実的な問題があるのにも関わらず)わざわざ流したり、現実に存在するさまざまな企業の施設や商品がバンバン出てきたり、劇中の会話の雰囲気があまりに日常的だったり…リアルさを演出するために時間とお金と努力をつぎ込んでいることが、一視聴者の立場であっても理解できた。

 これらのリアルさへのこだわりは、必ずしもストーリーの本筋には必要不可欠なものじゃなかった。音楽やお菓子やゲーム機や施設を実在のものにしなくても、あるいは使わなくっても、今作の物語は成立しうるだろう。日常的な本物の雑談のように会話を演じさせなくても、ストーリー自体に大きな影響はないだろう。でも、そうはならなかった。『ブラッシュアップライフ』は、それがドラマであることを忘れるほどに、あまりに現実的で日常的だった。

 

 現実的で日常的なこまごまとした出来事で展開を小さく上げ下げしていくという、いわゆるドラマの型から大きく外れた「非ドラマ的」なやり方。それが何故か本作においてはうまくハマっているのは、そもそも本作の「地元系ヒューマンコメディ」というコンセプトを描くにあたって、また「今生きているこの自分の人生」を肯定する物語を描くために、それが最善の手法だったからなのだ。

 地元系と言うからにはローカルでなければならないし、人生を肯定する物語に説得力を持たせるためには、主人公の人生を身近に感じてもらえるようにしなければならない。だから一般的なドラマのような大きな事件や問題をあまり物語には配置せず、代わりに日常や人生を感じてもらえるような身近だったりクスリと笑えたりするエピソードをちまちまと配置する。大きな一つの出来事で展開を動かすのではなく、小さな積み重ねがいつしか大きな変化を生むような展開の動かし方にしていく。

 また、身近に感じてもらえるために、共感性の高い話題やアイテムを随所に配置していく。ポケベルと公衆電話、シール交換やドラマの話題、逆転裁判Ⅱが入ったゲームボーイアドバンス、うざい教師、高校の恋バナ、近所にできたラウンドワンジャスコがイオンになった話、ガラケーの赤外線通信を使った連絡先交換…それら一つ一つにそこまで大きな威力はないけど、それらを一つ一つ丁寧に物語や演出に組み込んで、少しずつ主人公の人生にリアルさや身近さを積み上げていく。そうすることで物語に視聴者を没入させ、小さな積み重ねが大きな変化を生むような展開に説得力を持たせる。

 さらに、主人公のモノローグを中心に話を進めることで、その没入をより深める。複数人の話を展開すると話がややこしくなって没入感を削ぐので、主人公のいるところで、主人公の視点で、すべての物語が展開するようにする。一部真理がモノローグを担当した例外はあったが、それ以外はすべて麻美の視点で語られる。視聴者は麻美に乗り移ったつもりで彼女の人生や物語を身近に体感できるということだ。

 そして、身近に感じさせるために、メインキャラクターの個性は可能な限り削ぎ落していく。普通なら一つ一つのキャラに個性を持たせて立たせるものだが、どこにでもいるような親しみやすさを感じさせることが目的なので今回はそれは正しいアプローチではない。必然的にメインキャラクター4人は似た者同士な典型的仲良しグループとなり、逆に粉雪の加藤やミタコング、不倫に縁がある玲奈やぎょう虫の中岡、人生二週目のタイムリーパーなど、本筋にほぼ関わらないサブキャラクターの個性が立つ結果となった。

 しまいには「今世のやり直し」「人生二週目」という一番特徴的な要素ですら、その身近さを感じさせるためのギミックだった。地味で変わり映えない、フツーの人生こそ実は愛すべきものだ、という着地点を描くためには、一人の普通の人間の人生を描くだけでは難しい。人間とは自分が進まなかった人生や選ばなかった選択ほど魅力的に感じるものだからだ。それならば、自らの人生をやりなおす物語にして、一通りやり直しを体験させた後に主人公に自身の一番最初の人生を肯定させるものにすればいい。今作においてやり直しそれ自体は重要ではなく、その結論を導くための一つのギミックに過ぎなかった。

 という風に整理してみると、本作の「非ドラマ的」な要素は、「非ドラマ的」なコンセプトを実現するために合理的に配置されていたことがよくわかる。なるほど、確かにそうだ。最初からドラマ的なものをやろうとしてないんだから、非ドラマ的で当たり前なのである。

 

 そしてその積み重ねがあるからこそ、地味でフツーな人生を肯定するという「非ドラマ的」なコンセプトを体現した「それまでの目的を放り出して敢えて今世のやり直しを決断する」あの見せ場に説得力が出てくる。

 あの見せ場でやっていることは本来かなりリスキーなことだ。徳を積んで来世で人間になるというそれまでの目的を放り出す展開は、見せ方によっては視聴者への裏切りになりうるのでよほどの説得力がなきゃいけない。ドラマに限らず他の媒体でもそのようなことは丁寧に描写しなければ失敗しうるものだし、ましてやわかりやすさが求められる普通のテレビドラマなら、最初に提示されていた目的をいきなりたたむなんて複雑でリスクのあることはしない。

 でも、本作においてはそれは心配することはなかったんだろう。だって今作は非ドラマ的な演出でとにかく身近にリアルに話を進めてきた。視聴者側の世界に物語をぎりぎりまで近づけ、視聴者に自身を主人公に投影してもらうように工夫してきた。だったら、来世で人間になることを敢えて選ばない主人公の決断も納得してもらえるはずだと結論付けたんだろう。

 あのシーンには回想のカットインも、盛り上がるBGMも、それまであった主人公自身のモノローグもない。それなのに、その決断の理由とその重みが手に取るようにわかるし、頷かされるし、泣かされる。あの決断のワンシーンは、それまでの非ドラマ的なやり方で視聴者と物語の間の距離を近づけてきたからこそ成立したシーンなのだ。

 しかし、こんなドラマが良く放映されたものだなと思う。こんな奇抜で挑戦的なものを、ただでさえ保守的なイメージがあるテレビ向けに制作して1時間尺で放映するというのは、それなりの覚悟が必要だっただろう。そのような覚悟を決めてくれた制作人のためにも、しばらくはこの味をゆっくり咀嚼したいところだ。それこそ、同じ人生をなぞるかのように。

そろそろ「二週目」にでも行こうかと思っている。


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『ゴーストトリック』ファンが移植(HDリマスター)について思いの丈を語る記事(ネタバレなし)

ニンテンドーダイレクト:「『ゴーストトリック』のHDリマスターが今年の夏に発売決定!」

 

…え?

…は?

…What's?

おいおいおい、何を言っているんだ、こんなのが真実なわけがない。『ゴーストトリック』は名作だが、いかんせん知名度があるとはいえない。DSの作品で移植は結構手間がかかるし、リマスターを出して開発費がペイするほど売れるかは微妙ではないだろうか。

いやもちろん、俺は『ゴーストトリック』が大好きで、より多くの人にこの作品が知れ渡ること、もっと言えば現行ハードへの移植を願ってはいるものの、それが実現するとはあまり思えなかった。期待するにはあまりに知名度が低すぎる。しかも原作はタッチパネルでの操作を前提としていて、それをタッチパネルが原則的にない現行ハードに移植するのは多くの労力がかかるだろう。

これらを踏まえると…うん、夢だろう。夜更かしのせいで願望が夢に出てしまったのだ。あるいは幻覚か何かに違いない。こういう時は落ち着いて公式ツイッターを確認しよう、そうだ、嘘に決まっている、まだ笑うな、まだ期待するな…

 

 

現 実 だ と ! ? ! ? ? 

いやったああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!

やったぞ!!やった!!ついにやった!!

ゴーストトリック』が!!ついに現行ハードに移植!!再び日の目を浴びた!!

おめでとう!おめでとう!!!

カプコン!タクシュー!ありがとう!!!ありがとなああああ!!!

 

…ごほん。

 いや、知らない人にとってはこんなに叫んでる理由はよくわからないだろうけど、本当に俺やファンにとっては最高にいいニュースなんだ。だって、あの隠れた名作『ゴーストトリック』を遊んでくれる新たなプレイヤーが生まれるんだよ?あの死から始まる奇妙で謎だらけでラブリーでサイコーな一夜の追走劇を楽しんでくれる人が現れるんだよ???

この記事を読んでくれている、ゴーストトリック』をまだ遊んだことがないそこの君!どうか買って自分の手で遊んでほしい!!今から軽く解説とかあふれ出る感情の垂れ流しとかするけど、なんならこの記事をここから先読まなくたっていい。とにかくネタバレなしで!実況じゃなく自分の手で!このゲームを体験してほしいんだ!!

 

今作の魅力は大きく2つ!まずゲームシステム!幽霊になって物に「トリツク」、そしてそれを「アヤツル」ことによって動かし、目の前で死の危険にさらされている人間を救う新感覚の謎解き。人の動きや状況の変化を観察し、タイミングよく「トリツク」「アヤツル」をして、人の行動や物の動きを変えて死の運命を変える。起こしたい変化から逆算して自分の行動を考えて、その結果狙い通りの変化が起きたときの快感と言ったらもうたまらない。

そしてなんといってもストーリー!主人公「シセル」は幽霊。シセルは赤いスーツの男の死体を発見し、自分が何らかの理由で死んでしまったことを自覚するも、記憶がなくその理由が思い出せない。シセルは目の前で死にそうになっている人を救いながら、自分が何者でなぜ死んだのか、道中で出会った女警官「リンネ」と共にその謎を追い求める。謎が謎を呼び、二転三転する展開。ユーモラスながらも、カッコつけるときはバシッとカッコけてくれる魅力的なキャラクターたち。そして、すべての謎が集結する劇的なクライマックス。そのどれもが最高の水準。この作品を「DSで遊べるゲームの中でもっとも素晴らしいADV」と評していた人がいたけど、その評価は伊達じゃない。

新感覚の謎解きと、最高級のシナリオ。ゴーストトリック』は自分が遊んだゲームの中で一番最高なゲームだと、今でも思ってる。

 

…どうです?気になってきたでしょう。

この作品は発売当初、そのクオリティの良さに反してあまり話題にならず、国内での売り上げは8万本ほどにとどまって、そのままDS時代の終わりとともに埋もれてしまったゲームだった。これまで現行ハードではiOSでしか遊ぶことができず、そのiOS版も最近まではバグで一部機種で遊べない状況が続いていた。興味を持った人が遊ぼうと思っても、遊べない。このまま時の流れとともに、この作品は忘れ去られていくかもしれない、そうどこかで思っていた。思ってしまっていた。

本当にさ、半ば諦めてたんだよ。遊ぶ手段がない以上、『ゴーストトリック』がここから先広まっていくのは無理なのかもしれない。一番大好きなゲームにこんなこと言うのは嫌だけど、遊んだ俺たちしかこの作品を記憶しないのかもしれない。語り継がれていったとしても、知っている人の数はどんどん減っていくだろう。悲しいけど仕方ないことだと、そう割り切っていた。

そんな消えゆく名作『ゴーストトリック』が、HDリマスターされて、ニンテンドーダイレクトという世界で一番盛り上がるゲーム情報発表の場でお披露目された。ツイッターではトレンドに載り、未プレイの人を含む多くの人がその名を目にし、多くのファンがあの一夜を思い出した。2023年2月9日、原作の発売年である2010年から13年後。もう一度、傑作『ゴーストトリック』が発表され、話題を呼んだ。あの一夜が、Nintendo Switchで、PSで、Xboxで、Steamで、多くの人々の喝采を前に、再演される日がやってくる。

こんなに!嬉しいことが!!

他にあるかってんだ!!!

だからさ、もう一回言わせてくれ!!!

カプコン!タクシュー!開発に携わったすべてのゲームクリエイター!そして『ゴーストトリック』そのものに!

ありがとう!!!大好きだ!!!

ゴーストトリック』完走時の思い出の写真。