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感想『ブラッシュアップライフ』 代えがたい普通の日常を描く、現実に寄り添った「非ドラマ的」なドラマ

 オンエアが終わってから本作を知り、一足遅く見終えたのだが、これはリアルタイムで見るべき作品だった、と後悔した。それくらい、『ブラッシュアップライフ』が心に残って離れない。

 この作品、正直言ってすごく地味だった。派手なシーンも強烈なイベントも、バシッと決める見せ場もほとんどもない。でもなぜか続きを見たいと思わされるような魅力があって、心に残る何かがあって、見終わったときにはこの作品が大好きになっていた。

 なんでこの作品が魅力的に映るのか、その理由が見始めて最初の頃はよくわからなかったけど、今になってみると、その魅力は「非ドラマ的なドラマ」だった点なのだと思う。

 『ブラッシュアップライフ』は思い返してみればとても奇妙な作品だった。タイムリープして自分の人生をやり直すという壮大な舞台設定を掲げておきながら、ドラマチックなイベントはほとんど劇中で起こらないし、あったとしても案外そのイベント自体を描写するのに時間をかけず、さっと流される。

 劇中で主人公たちの周りで大きな事件が立て続けに起こったりすることもない。普通のドラマだったら事件に対する主人公たちの葛藤と克服を描くことで話の縦軸を進めていくところを、本作はそのような描写から距離を置き、なんてことない日常風景の描写に一番の時間をかけていた。

 

 そのため、『ブラッシュアップライフ』はその一話の中での展開の構成もかなりイレギュラーである。

 大半のドラマは基本的には一話につき一つの大きな問題・事件を中心に展開していく。重大で、あるいは非日常で、あるいは危機的な問題や事件をその話の軸として大きく取り上げ、展開を盛りたて、視聴者のテンションを上げ、最後にそれを解決させて結ぶ。そうやって、一話の中で大きく上がって大きく下がる展開を見せることでドラマチックに見せるのが定石的だ。もちろんドラマに限らず様々な物語でこのやり方は見られるけど、ドラマにおいては特に多く見られるように思う。

 一方で『ブラッシュアップライフ』はというと、一つの大きな問題や事件を一話の中でずっと取り扱うことは稀で、むしろ短い複数の身近で日常的で身近なエピソードが一話の中に収められていて、その短いエピソード一つのなかで小さな展開の上がり下がりがあったり、別のエピソードで張られたこまごまとした伏線が次々と回収されたりする。そんな小さな展開の上がり下がりを休みなく繰り返すことで視聴者を楽しませる。

 このようなアプローチそれ自体はコメディもののアニメや漫画なんかではよく見られるものだが、これをドラマで、しかも1話の中で繰り広げるのはかなり斬新な取り組みなのではないか。最近私はドラマからは離れがちなので断言はできないが、少なくとも私の思うドラマの固定観念から本作は大きく外れている。

 とまあ、こんな感じで、本作は通常のドラマのいわゆる「ドラマチック」とは意識的に距離を置いていた。もしドラマチックにしようとしたなら、本作はそれこそ麻美がプロデューサーを務めた劇中の『ブラッシュアップライフ』のようになっていただろう。でも、そうはならなかった。『ブラッシュアップライフ』は、ドラマなのにドラマチックじゃなかったのである。

 

 さらに今作が輪をかけて奇妙なのは、普通のドラマでは考えられないレベルでリアルさにこだわっていることだ。

 時代設定に合わせた曲を週替わりでエンディングや劇中歌として(使用料という現実的な問題があるのにも関わらず)わざわざ流したり、現実に存在するさまざまな企業の施設や商品がバンバン出てきたり、劇中の会話の雰囲気があまりに日常的だったり…リアルさを演出するために時間とお金と努力をつぎ込んでいることが、一視聴者の立場であっても理解できた。

 これらのリアルさへのこだわりは、必ずしもストーリーの本筋には必要不可欠なものじゃなかった。音楽やお菓子やゲーム機や施設を実在のものにしなくても、あるいは使わなくっても、今作の物語は成立しうるだろう。日常的な本物の雑談のように会話を演じさせなくても、ストーリー自体に大きな影響はないだろう。でも、そうはならなかった。『ブラッシュアップライフ』は、それがドラマであることを忘れるほどに、あまりに現実的で日常的だった。

 

 現実的で日常的なこまごまとした出来事で展開を小さく上げ下げしていくという、いわゆるドラマの型から大きく外れた「非ドラマ的」なやり方。それが何故か本作においてはうまくハマっているのは、そもそも本作の「地元系ヒューマンコメディ」というコンセプトを描くにあたって、また「今生きているこの自分の人生」を肯定する物語を描くために、それが最善の手法だったからなのだ。

 地元系と言うからにはローカルでなければならないし、人生を肯定する物語に説得力を持たせるためには、主人公の人生を身近に感じてもらえるようにしなければならない。だから一般的なドラマのような大きな事件や問題をあまり物語には配置せず、代わりに日常や人生を感じてもらえるような身近だったりクスリと笑えたりするエピソードをちまちまと配置する。大きな一つの出来事で展開を動かすのではなく、小さな積み重ねがいつしか大きな変化を生むような展開の動かし方にしていく。

 また、身近に感じてもらえるために、共感性の高い話題やアイテムを随所に配置していく。ポケベルと公衆電話、シール交換やドラマの話題、逆転裁判Ⅱが入ったゲームボーイアドバンス、うざい教師、高校の恋バナ、近所にできたラウンドワンジャスコがイオンになった話、ガラケーの赤外線通信を使った連絡先交換…それら一つ一つにそこまで大きな威力はないけど、それらを一つ一つ丁寧に物語や演出に組み込んで、少しずつ主人公の人生にリアルさや身近さを積み上げていく。そうすることで物語に視聴者を没入させ、小さな積み重ねが大きな変化を生むような展開に説得力を持たせる。

 さらに、主人公のモノローグを中心に話を進めることで、その没入をより深める。複数人の話を展開すると話がややこしくなって没入感を削ぐので、主人公のいるところで、主人公の視点で、すべての物語が展開するようにする。一部真理がモノローグを担当した例外はあったが、それ以外はすべて麻美の視点で語られる。視聴者は麻美に乗り移ったつもりで彼女の人生や物語を身近に体感できるということだ。

 そして、身近に感じさせるために、メインキャラクターの個性は可能な限り削ぎ落していく。普通なら一つ一つのキャラに個性を持たせて立たせるものだが、どこにでもいるような親しみやすさを感じさせることが目的なので今回はそれは正しいアプローチではない。必然的にメインキャラクター4人は似た者同士な典型的仲良しグループとなり、逆に粉雪の加藤やミタコング、不倫に縁がある玲奈やぎょう虫の中岡、人生二週目のタイムリーパーなど、本筋にほぼ関わらないサブキャラクターの個性が立つ結果となった。

 しまいには「今世のやり直し」「人生二週目」という一番特徴的な要素ですら、その身近さを感じさせるためのギミックだった。地味で変わり映えない、フツーの人生こそ実は愛すべきものだ、という着地点を描くためには、一人の普通の人間の人生を描くだけでは難しい。人間とは自分が進まなかった人生や選ばなかった選択ほど魅力的に感じるものだからだ。それならば、自らの人生をやりなおす物語にして、一通りやり直しを体験させた後に主人公に自身の一番最初の人生を肯定させるものにすればいい。今作においてやり直しそれ自体は重要ではなく、その結論を導くための一つのギミックに過ぎなかった。

 という風に整理してみると、本作の「非ドラマ的」な要素は、「非ドラマ的」なコンセプトを実現するために合理的に配置されていたことがよくわかる。なるほど、確かにそうだ。最初からドラマ的なものをやろうとしてないんだから、非ドラマ的で当たり前なのである。

 

 そしてその積み重ねがあるからこそ、地味でフツーな人生を肯定するという「非ドラマ的」なコンセプトを体現した「それまでの目的を放り出して敢えて今世のやり直しを決断する」あの見せ場に説得力が出てくる。

 あの見せ場でやっていることは本来かなりリスキーなことだ。徳を積んで来世で人間になるというそれまでの目的を放り出す展開は、見せ方によっては視聴者への裏切りになりうるのでよほどの説得力がなきゃいけない。ドラマに限らず他の媒体でもそのようなことは丁寧に描写しなければ失敗しうるものだし、ましてやわかりやすさが求められる普通のテレビドラマなら、最初に提示されていた目的をいきなりたたむなんて複雑でリスクのあることはしない。

 でも、本作においてはそれは心配することはなかったんだろう。だって今作は非ドラマ的な演出でとにかく身近にリアルに話を進めてきた。視聴者側の世界に物語をぎりぎりまで近づけ、視聴者に自身を主人公に投影してもらうように工夫してきた。だったら、来世で人間になることを敢えて選ばない主人公の決断も納得してもらえるはずだと結論付けたんだろう。

 あのシーンには回想のカットインも、盛り上がるBGMも、それまであった主人公自身のモノローグもない。それなのに、その決断の理由とその重みが手に取るようにわかるし、頷かされるし、泣かされる。あの決断のワンシーンは、それまでの非ドラマ的なやり方で視聴者と物語の間の距離を近づけてきたからこそ成立したシーンなのだ。

 しかし、こんなドラマが良く放映されたものだなと思う。こんな奇抜で挑戦的なものを、ただでさえ保守的なイメージがあるテレビ向けに制作して1時間尺で放映するというのは、それなりの覚悟が必要だっただろう。そのような覚悟を決めてくれた制作人のためにも、しばらくはこの味をゆっくり咀嚼したいところだ。それこそ、同じ人生をなぞるかのように。

そろそろ「二週目」にでも行こうかと思っている。


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